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youtubeについて [メモ]

youtubeについて


わたしは、音楽かけ流しなどにyoutubeを使っています。
youtubeが広告スポンサーありきで成り立っているのであれば、
わたしたちは、素直に従って広告も見るぺきでしょう。

しかし、あまりの低レベルの広告に堪忍袋の緒が切れたというか・・・・。
uBlock Origin にしばらく頑張ってもらいます。

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ファンヒーターについて [メモ]

ファンヒーターについて

コロナの去年買ったばかりのファンヒーターを使っています。
これにはもれなく3時間自動消火装置がついています。
二酸化炭素窒息事故防ぐための法律に基づいているようです。
すきまかぜいっぱいあるわたしの家には不必要な装置だと思われる。

3時間たつとピーピーとなっている。
3時間たつのは、はやいものでしょう。
延長のボタンを押さなければ消えるでしょう。
3時間自動消火装置とおもうから腹が立つのです。
生命維持装置とおもえばいいのでしょう。
生存確認装置と命名しようとおもう。
*
*
メーカーさんは、低レベルの法律の従って作りました。
これでは小学生の工作程度と言えるでしょう。
メーカーさんには、co2センサーを組み込んで、
快適なファンヒーターを作って欲しいものでしょう。

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シマウマについて [メモ]

シマウマについて
多くの方は、すでにご存知だと思われます。
シマウマは、どうして縞模様なのか。
縞模様によりハエに吸血されにくくなる。

それを応用して
  
米沢牛の産地・山形県小国町で、
黒い繁殖牛に白い樹脂塗料でしま模様を描き、
シマウマのような体表にして、
アブやサシバエといった吸血虫の接近を防ぐ試みが進められている。

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AQUOS wish について [メモ]

AQUOS wish について  2022-12-11

この機種の最大の欠点は、電話応答に指を横にスライドしなくてはならないこと

スマートフォンの得意技と勘違いし電話応答にもそのような仕様にしていると思われる。

指のワンタッチで応答できるようにしてほしいものでしょう。
一日も早く改善を乞う。
こんなゴミアプリを作って、なんの疑問も持たずそのまま販売してしまう会社に疑問を感じる。何やってるのか。


わたしはしかたなくワンタッチで応答できる電話アプリをインストールして使っている。





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ルース・ベイダー・ギンズバーグさん [メモ]

ルース・ベイダー・ギンズバーグ
NHK映像の世紀バタフライエフェクト▽RBG 最強の女性判事 女性たち百年のリレー
昨日の深夜再放送されていました。現在NHKプラスで見れるでしょう。12/15(木) 午前1:39 まで
ルース・ベイダー・ギンズバーグ(女性)さんについて語られている番組です。
アメリカでは知らない方がいないと思われる。2020-9-18 に亡くられている。
関連動画
   
上記をダウンロードした。端末で・・・・。
yt-dlp https://www.youtube.com/watch?v=6Dhi_8kOIkA&t=3579s
archLinux_2022-12-08-03_1920x1080.jpg

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日航機墜落事故 [メモ]

日航機墜落事故

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日、日本航空123便が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故である。 ウィキペディア
何度もメディアでとりあげられて放送されているので、日本で知らない方はいないと思われる。
私も、リアルタイムで川上慶子さんが救助される模様を見ていました。37年前。

御巣鷹山から中継するということが当時は、どれほど大変だったことか考えてもいませんでした。
生存者が4人もいた事にただ驚いていました。
この事故は、墜落場所特定の異常に遅いこと、事故原因に疑問が残っていることなど、
これから解明されることがまだまだあると思われる。
上野村の消防団の方々が、生存者をスゲノ沢から尾根まで人力で担ぎ上げた。
そして自衛隊のヘリに渡した。



ーー以下抜粋ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   

御巣鷹山「日航機事故」から37年 なぜフジテレビは生存者4人の救出劇を独占生中継できたのか



 フジテレビが視聴率トップの座から転落してから12年。そもそもフジはどうして強かったのか? それを知る格好の番組として、複数のOBらが挙げるのが、1985年8月13日の「FNNニュースレポート11:30」である。この番組内で日航ジャンボ機墜落事故現場からの独占生中継が行われた。この生中継にフジが強かった理由が隠されているという。

【写真】「息を飲む光景でした」 当時、現場に派遣された自衛官が振り返る
日航機墜落事故を生中継

 日航機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落してから一夜明けた1985年8月13日午前11時半過ぎ、フジは昼のニュース「FNNニュースレポート11:30」で現場からの独占生中継を始めた。

 当時、フジの看板アナだった露木茂氏(81)が生中継の映像を見ながら、視聴者にこう伝えた。

「現場に生存者がいました。4人の生存者がいた模様です」

 いつも落ち着いている露木氏が興奮気味だった。無理もない。墜落した日航機の乗客・乗員524人の安否は絶望視され、列島は重苦しいムードに包まれていた。そんな中、4人の生存者が発見されたのだから。

 一方、国民全体の関心事でありながら、NHKを含めた他局は墜落現場からの生中継が出来なかった。上空の自社ヘリからの映像とリポートのみ。生存者の有無も確認できなかった。大事件・大事故の報道でここまで差が付いた例は後にも先にもない。

 墜落現場からのリポートを担当したフジの記者は山口真氏(59)。慶應大を出て入社してから、まだ5カ月目だったが、冷静なレポートに終始した。

 現場一帯には損壊された無数の遺体が横たわり、凄惨を極めていた。だが山口記者はそれを口にするのを控えた。乗客の家族の心情を第一に考えたのだろう。フジの生中継が高く評価された一因だ。

 なぜ、フジだけが生中継できたのだろう。どうして、この生中継にフジが強かった理由が隠されているのか? 順を追って書きたい。

 まず日航機が墜落したらしいという情報が各局に入った時刻は一緒。前日の8月12日午後7時13分だった。時事通信が「日航ジャンボ機がレーダーから消える」というフラッシュ(至急報)を加盟各社に配信したからだ。

 ほどなくして自衛隊機などが日航機から上がる炎を確認。墜落が確定してしまった。フジを含めた各局の取材班は夜のうちに上野村に入り、翌13日午前5時の夜明け前から墜落現場を目指して御巣鷹の尾根を登り始めた。

重たい機材を背負って険しい山を登った取材班

 この登山が困難だった。当時、あるテレビ局の学生ADだった筆者も事故から1週間後に墜落現場に入ったが、あまりに山が険しく、驚いた。

 登山道などない。廃線となった森林鉄道の枕木の上をおそるおそる歩かなくてはならない場所もあった。枕木と枕木の間の下は谷。足を滑らせ、転落したら、軽傷では済まなかった。

 全体的に山深い上、急斜面が多かった。取材陣の中から遭難者や滑落した者が相次いだのもうなずけた。麓から墜落現場に辿り着くまでには軽く3時間以上かかった。

 そのうえ各局の取材班は重たい機材を背負わなくてはならなかった。フジ以外の局は肩に担ぐ取材用ENG(エレクトリック・ニュース・ギャザリング)カメラが中心。交換用のバッテリーやビデオテープも持たなくてはならないので、1カメラあたりの機材の総重量は数十キロに達した。

 ENGカメラは運ぶのが一苦労であるだけでなく、大きな弱点があった。映像を放送で使うためには、撮影したテープを上空の自社ヘリにロープで引き上げてもらうか、スタッフの誰かがテープを持って下山しなくてはならなかった。

 ヘリにテープを引き上げてもらうのは難しいうえに危険だった。一方で下山にも最低3時間はかかった。昼に撮った映像を流すのが夕方になってしまう。
なぜ、フジだけ生中継できたのか

 ところがフジは13日午前11時半には生中継を始めた。山に登り始めたのは他局とほぼ一緒なのに。「ヘリスター方式」を使ったからだ。

 フジはまず事故現場での映像を電波に変換。上空の自社へリに飛ばした。ヘリは受け取った電波を、東京・西新宿の高層ビルにある大型アンテナに飛ばした。その電波が新宿区河田町のフジ本社(当時)に送られた。ヘリを衛星中継の衛星の代わりに使ったのである。だからヘリスター。当時としては画期的なシステムだった。

 この技術の存在はNHKを含めた他局ももちろん知っていた。だが、導入済だったのはフジのみ。万一の事件・事故に備えていたフジの考えが正しかった。

 もしかすると他局はヘリスターを導入していても御巣鷹の尾根では使わなかったかも知れない。なにしろ機材が途方もなく重いのだ。ENGカメラとは比較にならない。1カメラあたりの重量は軽く計100キロ以上と言われた。

 けれどフジでは墜落現場にヘリスター機材を持っていくことがすぐに決まった。フジOBによると、当時の制作技術局制作技術センターの幹部が、「持っていったらどうか」と提案。取材班の面々は一も二もなく賛同した。誰一人として難色を示さなかった。

 それまでにヘリスターが山間部で使われたことはなかったから、提案した技術センター幹部は発想が柔軟だった。機材が恐ろしいまでに重いことを知りながら、すぐに提案を受け入れた取材班はバイタリティに満ちていた。

社内が柔軟性とイケイケ精神に満ちていた

 このエピソードには全盛期のフジの精神が凝縮されている。やわらか頭で姿勢はイケイケだった。

 報道局ばかりではない。「森田一義アワー 笑っていいとも!」(1982年~2014年)など先鋭的な番組をつくっていたバラエティ部門もフレキシブルでポジティブ。斉藤由貴(55)主演の「スケバン刑事」(1985年)など遊び心に富んだ作品を制作していたドラマ部門もそうだった。

 当時の他局は官僚的だったり、セクショナリズムが強かったり。フジとは違った。TBSは視聴率でフジに負けたことが悔しくて仕方なかったらしく、「ウチは『視聴質(視聴者の質)』はいい」などと言い出した。

 同8月13日午後1時過ぎ、生存者4人は陸上自衛隊空挺団のV-107輸送ヘリによって救助された。1人ずつ空挺団員に抱えられ、ヘリに収容された。この劇的な様子もフジだけが生中継した。他局は惨敗だった。

 当時の日本テレビの編成部幹部で後に経営陣の1人になった同局OBは、フジの生存者救出の生中継を観て、「当面は何をやってもフジには勝てないかも知れないな」と青ざめたという。

 フジはこの3年前の1982年から視聴率年間3冠王だったが、それでも日テレは1970年代まで下位局だったフジを舐めていた。

「すぐに巻き返せると考えていた」(元日テレ経営陣)。

 けれど生存者救出の生中継を目の当たりにしてフジへの見方が一変した。テレビマンだから、険しい山間からの生中継がいかに難しいかがよく分かっていた。フジの積極性と力強さに圧倒された。

「とんでもない体質の会社なんだと初めて分かった」(同・元日テレ経営陣)

 元日テレ経営陣の予感は的中し、フジの3冠王は1993年まで続く。その後も2010年まで年間視聴率は3冠王か2位だった。

 日テレがフジの生中継に打ちのめされた同8月13日午後、同局内で珍しい事が起きた。報道局が編成部に対し、「報道特番を打ち切って欲しい」と申し入れたのだ。
「報道局は大事件や大事故があると、『特番の放送枠をもっと伸ばしてくれ』と言うのが常なんですが、あの日はどうしたってフジに勝てないので、戦意を喪失した」(元日テレ経営陣)

新聞界も脱帽、より自信を付けたフジ

 フジに惨敗したことを痛感させられたのは他局だけではない。フジの生存者救出の生中継は1985年度の新聞協会賞(編集部門)を受賞した。つまり「この年の報道の1等賞」と認定されたのである。

 NHKも受賞したことがなく、テレビ局が得るのは初めてだった。それまでテレビ界を見下していた新聞界が負けを認めたのだ。

 同9月20日付の毎日新聞夕刊は「グリコ犯 森永製菓も脅迫」という歴史的スクープを報じたが、それよりフジの生中継のほうが、価値があると判断された。

 前出・フジOBは振り返る。

「テレビ界で初の新聞協会賞受賞で局内は沸いた。局内全体が活気づいた」(フジOB)

 当時のフジが強かったから出来た生中継だったが、一方で生中継の成功によって強いフジがますます勢いづいたのである。

 生中継成功は決してフロックではない。ヘリスターがあったからだけでもない。事故当日の同8月12日夜、民放で真っ先に報道特番を開始したのもフジ。午後7時台だった。

 民放が通常番組から特番に移行するのは簡単ではない。通常番組の全てのスポンサーに許可を取らなくてはならないからだ。だが、フジは緊急事態であると判断し、許可取りを飛ばして、特番にゴーサインを出した。当時のフジは社内全体が柔軟でイケイケだったのだ。

 あの夏、現場からのレポートを行ったフジの山口記者は昨年まで報道局長を務めていた。新人記者が報道局のトップになった。歳月の流れを感じさせる。

 フジの行方を左右するのはマンパワーに違いない。全盛期のマインドを取り戻せるか。それがトップ奪還のカギになるはずだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部


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宮澤エマさん [メモ]

宮澤エマさん。
幼い頃のこと・・・そりゃーおどろくでしょう。


ーーー抜粋ーーーーーーー



宮澤エマ 祖父・宮澤元首相が「大きな声で『たまごっちください』って」 原宿で“モーセの十戒”体験


女優・宮澤エマ(32)が6日放送の日本テレビ「1周回って知らない話+今夜くらべてみました合体!芸能界の『気になる』3時間SP」(後7・00)に出演し、祖父の故・宮澤喜一元首相との思い出を語った。

 喜一氏は宮澤の母方の祖父で、宮澤が18歳の時に死去した。「おじいさまと遊びに言った記憶」を問われると、「本当に仕事人間だったので正直そんなに記憶にないんですよ」と前置きした上で、「でも唯一、一緒にお買い物に行ったって思い出がありまして」とエピソードを切り出した。

 宮澤が「7歳くらい」の誕生日のこと。喜一氏から「何が欲しいの?」と尋ねられたという。当時は「たまごっち」が大ブーム。宮澤は「たまごっちが欲しいって言ったら(喜一氏が)『今から買いに行こう』って急に言い出して。SPさんを引き連れて、原宿のおもちゃ屋さんめがけて」と振り返った。

 「その時は祖父がどういう存在か、いまいち理解できていなかった」宮澤だったが、目の前には信じられない光景が。「原宿の町を歩いていると『モーセの十戒』みたいに人が開けていって。私のおじいちゃんヤバくないって気付いて。あれはビックリしました」と笑った。

 玩具店に到着すると、たまごっちを求める人々で行列ができていた。「どうするんだろうなって思っていたら、おじいちゃんがすごい大きな声で『たまごっちください!』って言った」と明かし、「みんな並んでいるのに、何言いだすんだろうって。店員さんも権力に屈したらいけないと思ったと思うんですけど、『並んでください』って言って。その日は別のものにしてって、帰ったんですけど」と懐かしそうに話した。

 宮澤はその後の展開も説明した。喜一氏が原宿を訪れたその様子が、メディアに写真とともに伝えられたとし、「記事になって後日(発売元の)バンダイさんから、たまごっちが送られてきました。一番の私の自慢エピソードです、これが」と話し、盛り上げていた。
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今夜くらべてみました 2021-10-6 放送

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ドラマのような本当のお話。 [メモ]

愛犬が飼い主を叩き起こす
2021-07-17-07:27:18_1920x1080_scrot.jpg

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抜粋ーーーーーーーー


真夜中に生まれた仔馬が命の危機に 事態に気付いた愛犬が飼い主を叩き起こす(カナダ)


このほどカナダの農場にて真夜中に生まれたばかりの仔馬が、息ができずに苦しんでいた。その姿を発見した犬は助けを求めるため一目散に寝ていた飼い主のもとへ走り、叩き起こしたという。何があったのかと驚きながらも外へ走る愛犬を追いかけた飼い主は、仔馬の緊急事態に気がつくとすぐに対処した。現在、仔馬は元気に走り回るほどに回復したという。『The Western Journal』などが伝えた。
カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州タッペン在住のマリー・ハーレーさん(Marie Hurley)は、農場「Hillbilly Haven」を経営して馬などの動物を飼育している。先月24日、真夜中の午前1時50分にベッドで寝ていたマリーさんは愛犬でボーアボールという犬種の“トフィー(Toffee)”に突然叩き起こされた。
マリーさんは「トフィーは鼻で私を強く突き、とても真剣な様子で大きく『ワンッ』と吠えていました。私がベッドから飛び起きるのを確認すると、トフィーは階段を降りて庭へ飛び出していったのです」と当時を振り返る。
トフィーに導かれるまま農場の方へ向かうと、驚いたことに所有する馬の1頭が出産していたという。
「生まれたばかりの仔馬が、いびきのような酷い音を立てていました。あまりに酷い音だったので確認すると、羊膜が破れていなかったのです。羊膜に包まれたまま生まれた仔馬は膜が鼻にくっついてしまって息ができず、窒息しかけていました。」
トフィーは馬の出産に気付き、さらには生まれた仔馬が命の危機に陥っていたことを察し、寝ているマリーさんを起こして助けを求めたのだ。
「急いで仔馬を包んでいた羊膜を破き、鼻の周りをキレイにしてあげました。もしトフィーが起こしてくれなければ気が付かなかったでしょう。」
「私はトフィーのことをヒーローだと思っています。犬の素晴らしい活躍をよく耳にしますが、まさか自分の身に起こるとは思いませんでした。トフィーはそんな素晴らしい犬の1匹であることを証明してくれたのです。トフィーがいてくれて本当に良かったです。」
トフィーのおかげで一命を取り留めた仔馬はその後、すくすくと成長して元気に遊びまわっているそうだ。このニュースを見た人からは「本当に素晴らしい犬だね」「素敵な話だ。トフィーにはご褒美をあげてほしいよ」「トフィーが何かが起きていたことに気付いていたなんて信じられない!」など驚きや称賛の声が届いている。
「満月の下で生まれたこの仔馬には、シマウマのような縞模様があることや、干ばつや酷い暑さの中で生まれたことなど驚くような事実がたくさんあります」と話すマリーさんは、仔馬の名前がすぐに浮かばなかったので名前を一般募集した。募集専用メールアドレスをFacebookに記載すると、今月14日までに800件以上のアイディアが届いたという。
マリーさんは「人々がネットでシェアしている話の中には、本当に心に響くものもあります。特別な生き物で、家族の一員でもある犬や馬は私たちの人生に触れ、様々な形で影響を与えてきました。今回生まれた仔馬は歯で私に触れて遊んでおり、こういうのを『“馬”鹿騒ぎ』と呼ぶのかもしれないですね」とジョークを交えながらコメントしている。
画像は『Marie Hurley 2021年7月11付Facebook「On June 24th this puppy saved my foal’s life by waking me up to tell me he was in distress.」』『Global News 2021年7月10日付「Dog helps save colt’s life in early morning rescue in Tappen B.C.」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 iruy)

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SSブログの記事が削除される、なぜか。 [メモ]

お仕事の方はごくろうさまです
あいもかわらずlinuxであそんでいます。
なぜかSSブログの記事が削除された。禁句にふれたのか?
http://hiraizumi88.livedoor.blog/archives/6278152.html
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ムンジェイン大統領 [メモ]

諸悪の根源は、ムンジェイン大統領本人

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毎日のようにお隣の韓国の反日ニュースが報道されている。

反日を仕掛けているのは、ムンジェイン大統領本人でしょう。

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ムンジェイン大統領は脱北者の両親からうまれた。

貧しい家庭から、苦学をして人権弁護士を経て大統領まで上り詰めた。

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現在のムンジェイン大統領を見る限り

優秀な弁護士が、よい大統領になるとは限らないということでしょう。

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わたしは東京大学を出ていてもよい政治家になれなかった舛添要一さんを思い出します。

ムンジェイン大統領の任期は、2017510日→202259日まで。

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韓国と日本の両国民は、ムンジェイン大統領に躍らせられているのではないでしょうか。

この騒動の収束は、仕掛け人ムンジェイン大統領の任期終了まで待たなければならないのでしょうか。

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日本は貿易立国です。他国との争いは極力避けるべきでしょう。

安倍晋三さんは、経済の重要性を説いてきた方です。

お隣に変な国が多い中で、大変なこの時期に安倍晋三さんにはこらえてもらいたいと思います。

安倍晋三さん、がんばれ。安倍晋三さんの任期は、20219月末まで。

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以下抜粋記事ーーーーーーーーーーーーー


韓国歴代大統領と比較しても異様な文在寅氏の反日姿勢

2019/01/25 07:00

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元・在韓国特命全権大使の武藤正敏氏[コピーライト] SHOGAKUKAN Inc. 提供 元・在韓国特命全権大使の武藤正敏氏

 日韓関係に、かつてない暗雲が漂っている。元駐韓大使の武藤正敏氏は、かつて直接対峙した経験から、「文在寅大統領の“反日”は歴代の韓国大統領とは質が異なる」と指摘する。

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 朴槿恵氏が当選した2012年韓国大統領選の期間中、有力な対抗馬の一人だった文在寅氏に面会したことがある。

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 駐韓大使として、日本政府の立場と考え方を伝えるためだったが、日韓の経済関係の重要性を切々と説く私に対し、文氏は終始、無言だった。そして文氏の口から初めて発せられたのは、「日本は北韓(北朝鮮)に対してどう臨むのか? 南北統一についてどう考えるのか?」という言葉だった。

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「日韓関係よりまず北朝鮮だ。日本が北朝鮮と良好な関係を結ぶなら、日本との関係改善をしてもいい」という意味だと、私は捉えた。

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 2017年の大統領就任後も、その姿勢は変わらない。文氏にとっての最重要事項は北朝鮮と融和をはかり南北の平和を定着させることである。元徴用工の問題で南北共同の調査を提案するなど常識外のこともする。また、元徴用工への賠償を命じた大法院(日本の最高裁に相当)判決への対応や日韓合意(2015年)により設立された慰安婦支援財団の解散表明などは、日韓関係を何と思っているのかと問いたくなる。

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 文大統領の反日姿勢は、韓国の歴代大統領と比較しても異様である。

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 2012年に現職大統領として初めて竹島に上陸した李明博氏(在職20082013年)も、もともとは反日的ではなかった。慰安婦問題の交渉で当時の野田佳彦首相が冷淡な対応をしたことに怒り、その反動で反日に転じたというのが実情だ(*)。左派の盧武鉉氏(在職20032008年)でさえ、徴用工問題は1965年の日韓協定で解決済みとし、国家間の約束を反故にしたりはしなかった。

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【*2011年、韓国憲法裁判所の決定を受け、当時の李明博政権が慰安婦問題の解決を日本に迫ったことから関係が悪化した】

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 文大統領は、表向きは「司法には介入しない」などと公平中立を装っているが、これは偽りの姿である。韓国紙・東亜日報(2018123日付)は、2000年に韓国で初めて三菱重工を相手に元徴用工の裁判を起こしたのは、他ならぬ文在寅弁護士だったとスクープしている。そもそもの仕掛け人が文大統領だったのである。

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 昨年123日には、元徴用工裁判で日本企業の代理人を務めている韓国の法律事務所が「大法院側と打ち合わせをして、裁判遅延に関与した」として家宅捜索を受けている。さらに、「元徴用工の補償は韓国政府がすべき」という反対意見を述べた大法院判事の弾劾までも始まりつつある。

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 こうした一連の反日の動きは、文大統領の意思を無視してできることではない。彼は歴史見直しを旗印に大統領になった。その必然的結果が反日である。彼は人権派弁護士のマインドを持ったまま大統領職を務めていると認識すべきだ。その文氏が北朝鮮の人権問題を不問とするのはどういうことだろうか。

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PROFILE】むとう・まさとし/1948年東京都生まれ。横浜国立大学卒業後、外務省入省。在大韓民日本国大使館に勤務し、参事官、公使を歴任。アジア局北東アジア課長、在クウェート特命全権大使などを務めた後、2010年、在大韓民国特命全権大使に就任。2012年退任。著書に『日韓対立の真相』『韓国の大誤算』『韓国人に生まれなくてよかった』(いずれも悟空出版刊)。

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取材・構成/清水典之(フリーライター)

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SAPIO201912月号

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